鱧の葛打ち椀

伝統的な和食 -昆布だし―

だし巻き玉子

ヒラメの刺身

伝統的な和食 ―肉食禁止令―


 「鱧の葛打ち椀」

 

 「鱧は梅雨の水を飲んで旨くなる。」と言われ、6月の雨季に陸から流れ出す養分を取ることによって、夏に旬を迎えます。

 

  暑い夏に精力がつくことと、その身の美味しさから、鱧は京料理には欠かせない食材です。
  しかし、西日本の沿岸でしか獲れないことに加えて、骨の処理に手間がかかるため、関西以外ではあまり食されないようです。

 

  鱧は、大きな口と鋭い歯が特徴で、漁の時に人に咬みつくことから「食む(はむ)」、転じて「ハモ」と呼ばれるようになった説があります。
  鱧の名の由来は他にも諸説ありますが、鱧の身が美味なのは、その大きな口と鋭い歯を用いた捕食能力に依るところが大きいのは間違いないと思います。

 

  本日の献立にある「鱧の葛打ち椀」は、和食らしい夏の一品です。
  鰹と昆布の出汁が主張しすぎることなく、葛で封じ込めた旬の鱧が際立つ味わいは、亰の食文化の凄みさえ感じさせます。
  鱧の味が、出汁と混ざる前に食されることを薦めます。

 

  東京の夏の暑さを、亰の椀で乗り切って頂ければ嬉しく存じます。

 

文 野口かつじ


 伝統的な和食 -昆布だし-

 

  平安時代から、昆布は朝廷への献上物として、蝦夷地(北海道、千島等)から京都へ送られ、朝廷内で行われる神事、仏事に欠かせないものでした。  
  献上された昆布は、神社、寺院に支給され、神社で神様に捧げられる一方で、寺院では精進料理の食材として重要な役割を担っていきました。  
  動物性の食材を使わない精進料理では、昆布だしが、野菜や豆類の美味しさを引き立てるのに役立ったということです。  

 

  しかし、昆布だしが、本当に大活躍するのは、多くの食材が広く流通し始める、もう少し後の時代からではないかと思います。  
  旬の味、新鮮な食材本来の味を楽しめるようになると、控えめで薄味の昆布だしが、料理の美味しさをより際立たせるからです。  

 

  日々、昆布でだしを引きますが、かつての朝廷への献上物に昆布が含まれなかったら、あるいは、蝦夷地の人々が昆布を浜辺に干さなかったとしたら、今に伝わる伝統的な和食の美味しさは無かったかもしれません。  

 

  時に、平安時代の極寒の海がもたらしてくれた恩恵に、思いを馳せてみるのも一考かと存じます。

 

文 野口かつじ


 「だし巻き玉子」

 

 「だし巻き玉子」は、蕎麦屋の品書きによく見られますが、これには確かな由来があります。

 

  蕎麦屋にとって、蕎麦はもちろんのこと、そばつゆもまた腕の見せどころです。
  そばつゆに使う自慢の出汁で「だし巻き玉子」を焼き、蕎麦がゆで上がるまでの酒の肴に出していたわけです。
 「だし巻き玉子」は、出汁あっての一品ということになります。

 

 関東では、出汁に足す醤油や砂糖による濃い味が好まれますが、うすくあっさりした上品な味付けが関西風です。

 

 「だし巻き玉子」を食するのは、口の中で滴り落ちる出汁が、まだ熱く感じられるくらいがいい。

 淡く控えめな出汁で引き立つ卵の風味は、和食らしさ満点です。

 

 余談ですが、今の卵は、昭和の頃よりはるかに美味しくなっているように思います。
 また、知る限りでは、日本ほど卵の美味しい国はありません。

 

 世界一はもとより、日本の歴史上、いちばん美味しいかもしれない「だし巻き玉子」を味わって頂ければ嬉しく存じます。

 

文 野口かつじ


 ヒラメの刺身

 

  ヒラメの刺身は、コリっとして甘みのある「縁側」が好まれますが、ほど良い食感の身の方も、劣らず美味です。

 

  ヒラメが美味しいのは、良い餌を食べているためと言われます。鋭い歯を持つヒラメは、海の底のエビやカニの殻をかみ砕き、素早い動きで小魚を捕らえることもできるからです。
  同じく海底に住むカレイが、小さく軟らかい生物を餌としているのとは、対照的と言えるでしょう。

 

  しかし、その美味しさには別の理由もあるのでは、と考えています。
  水平にした魚体を、激しく撓らせながら水中で餌を追うとき、ヒラメは尾やヒレだけでなく、全身の力を使っているように見えます。
  小魚を捕らえるほどの瞬発性を持つ筋力が、その身を美味しくしているのではないかということです。

 

  キュッと引き締まったヒラメの身は、脂の乘った「縁側」の旨味とは異なる、淡白で繊細な美味しさを楽しむことができます。
  鮮度が良いほど、ポン酢はうす味の方が良いでしょう。

 

  本日は、ヒラメの舞い踊りならぬ、餌を求めての鋭いターンを思い浮かべながら、食して頂くのも良いかと存じます。

 

文 野口かつじ


 伝統的な和食 -肉食禁止令-

 

 「伝統的な和食」は、肉は使わない。

 

 675年、天武天皇より「肉食禁止令」が発布されました。

 生き物の血を穢れ(けがれ)とする古くからの考えと、殺生を禁じる仏教の教えによるものと言われています。

 

 1871年に、明治政府によって廃止されましたが、それまでの約1200年の間、制度の上では、わが国では肉は食されなかったことになります。

 

 これは、肉が食材とされなかったことに留まらず、肉汁による味付けも、肉に含まれるタンパク質の摂取も無かったということです。

 「伝統的な和食」が、多くの魚や豆類を食材とし、味付けのための出汁を引くのは、肉食が禁じられていたことと無縁ではないと思います。

 その結果として、食材本来の味を活かしたうす味になったことは、幸運な副産物と言えるでしょう。

 

 皆様には、飛鳥時代の詔(みことのり)と「伝統的な和食」の味わいとの関わりに、思いを馳せて頂ければ嬉しく存じます。

 

文 野口かつじ